食器が大好きです!
あの、あなたの好きなものは何でしょうか?
笑。
インタビューとかじゃない限り、こんなふうに人にはあまり質問しないですね。
人、特にこの国で暮らす人々は、すごく「距離」を取るのを重んじていて、こんなことを聞こうと思っても、なかなかできませんよね。
でも、知りたくないですか?
っていうと大げさですが(笑)、私は知りたいです。
というのも、それを知ることによって自分の生活にとってヒントになるかもしれないからです(もちろんまったく何の参考にならないケースも多々あります)。
もっといえば、人の人生についても知りたいものです。
一見ごくごく普通で何の特徴がないように見えても、実は波乱万丈の人生を歩んでいる、あるいはすごい才能を持っているかもしれません。
それを聞いたら、こっちの人生まで豊かになりそうです。
でも実際問題、なかなか聞けません。
これからは、いろんな人の人生ストーリー、あるいはその断片も含めて伝えるチャンスがあればな~と思います。
今現在は妄想状態ですが、いつかは実現したいです。
そこでまずは、私のケース。私の大好きなもののひとつ「食器」を挙げて、私の知っている限りの情報を書きたいです。
10数年前のことですが、おしゃれと無縁の私はなぜか表参道でぶらぶらしており、そこでとある洋食器店にふと入り、絵付け体験をさせていただきました。あまりの可愛さに惹かれ、そこの絵付け教室に迷わず入会し、月に一度、午前から午後まで絵付け指導を受けました。
その教室は、私はまったく絵心がないことにプラスして、細かいことが本当に苦手で細かい線などは上手に描けず(描けるだけの集中力が足りず)、1年少々で辞めましたが、食器への愛情はますます高まりました。
私はもともと、大の食いしん坊、おいしい食事のためには、2時間も3時間も並んで待てます。器がきれいだと食事を余計においしく感じ、いつのまにか食器への情熱が高まってきたのです。
結婚してから子供を妊娠出産するまでは、時間も資金も比較的自由だったため、いろいろ食器店を見て回っては買いました。
洋食器もすごく素敵で好きですが、私が魅了されてきたのは、和の食器です。
産地(窯)により、時代により全然味が違うし、それぞれが時代や地域のストーリーを持っています。作家ものだと、作家さんの人となりが目に見えてわかる気がします。
実は、東京ドームでは年1回、時期にしては1月もしくは2月頃ですが、食器をはじめとするテーブルウエアの展示会が開催されています。
私が食器に強い興味を覚え始めた10数年前に何度かお邪魔しましたが、その後子供を妊娠出産して数年は通いませんでした。
今年は、お正月を過ぎた頃にふと、久しぶりに行ってみたいと思い、そして先月、10年弱ぶりくらいお邪魔しました。
写真を撮りまくりました(笑)。機会があればアップしたいと思います。
そして数年ぶりにおお邪魔してわかったことは、人の趣味というかセンスというか、変わらないことです。
なんと10年近く経っても、膨大な数の出展店のなか、「この食器、いいな」と思ったお店は、昔と同じ店だったりするのです。
一瞬店名を忘れても食器を見ると、一気に記憶がよみがえるのです。
人間の脳ってすごいです。強く記憶したものは、何年経っても、必要な時に勝手に出てくるのです。
和食器好きが高じてアンティークが好きになり、昔はよくアンティークフェアみたいなところにも通い、江戸時代の箪笥とカップなどを購入していました。
出張で中国・上海に行くと、そこの骨とう品街にも出没しました。
和食器の本もいろいろ購入し、読みました(もうほとんどは忘れましたが汗)。
アンティークは今はさほど興味がないです(買えるお金もありません)。
しかし食器たちは、私が時々寂しかったり疲れたりするときにはおいしいコーヒーとおいしいごはんと一緒にこころを満たしてくれる大切な相棒です。
徐々にですが、また探求していきたいと思います!
3人家族 2月度の生活費を発表します!
3月も半ばです。
ここしばらくは全然更新できておりません(汗)。その理由は後日に記述するとして…
我が家の2月度の家計費を発表したいと思います。
見ている方が少ないのは救いなのですが、1月度と比較して、結論から言うと、改善がないのです。
自分では、浪費している感覚はまったくをもってありません。
むしろ日々、節約を心がけております(汗)。
なのに、出費は、一向に減りません。
でも、見てくださる方が少なくても、こうやって公の場(ネット)で成果を発表する以上は、成功・失敗要因を分析し、特にに失敗要因は、きっちりと改善して、次の成果につなげなければいけません。
ここで発表する意図は、それにあります。
お待たせしました(汗)。
我が家の2月度の家計費の実績です。
※その前にちなみに、我が家の生活経費の予算(月)です:
食費: 60,000円(宅配30,000円、自力購入30,000円)
日用品: 10,000円
私のお小遣い: 10,000円
趣味・レジャー: 7,000円
衣服: 5,000円
医療費: 5,000円
予備費: 10,000円
計 107,000円
※住居、水道光熱、通信、子供教育費、夫小遣い、保険、健康サプリや私の基礎化粧品は毎月ほぼ決まった出費であるため、固定費としておりここに記載していません。
上記生活経費を予算内に抑えることができれば、我が家は毎月、35,000円の貯金ができるのです!
決して、きつい予算ではないと思いますが。。。
2018年2月度の生活費の実績です!
食費: 73,000円(宅配30,000円※、自力購入43,000円)
日用品: 17,000円
私のお小遣い: 15,000円
趣味・レジャー: 23,000円
衣服: 0円
医療費: 8,000円
予備費: 16,000円
計 152,000円
※千円以下の端数を省略しました。
※宅配は毎月3万円以内の予算感覚でやっており、厳密ではないが、これで計上します。
そして、対予算は マイナス45,000円!!!
う~ん…
1月度より総額的には数千円の減少がありましたが、2月は28日間だったのを考えるとペースとしてはむしろ増えたのです。
特に予算を大幅に超えたのは
日用品
私の小遣い
趣味・レジャー
と以上の項目です。
それぞれに関して内容を見ると、
日用品は、子供の学習用グッズを衝動買いし、これに計上しました。
私の小遣いとしては、東京ドームで開催されたテーブルウエア展でお皿などを購入したのがほとんど。
趣味・レジャーは、横浜中華街へ遊びに行った際の出費。
予備費は、子供の遠足費用の振込み。
意外と出所ははっきりしている(苦笑)。
やはりちゃんと記録を残すのは大事ですね。
ここから反省&今後に向けての改善策です。
1.とにかく衝動買いを減らす(ゼロにはなかなかできません…)
そのためには買う前の検討時間を長く設ける(いったん帰宅などして頭を冷やすとか)。
2.イベントや子供関連の大きな出費は、年間計画に載せてあらかじめ年初の予算からそのお金を取る。
3.意外性のある出費をなるべく減らし、予測のできる毎月の出費にする。
そして食費も引き続き節約・管理が必要です。
こうやって、書くことによって、自分の出費のパターンや弱みがだんだんとわかってきたので、後は着実にそれを少しずつ、部分ずつ、改善していくのみです。
ということで、3月は乞うご期待です(果たしてどうなるか?!)。
不妊治療と甲状腺機能低下症治療の両立、思いがけない落とし穴がありました。~私の場合~
前述のように、私は、不妊治療が甲状腺の病気発覚のきっかけでした。
不妊治療専門クリニックから紹介され、初めて伊藤病院を訪れた際、血液検査の結果、「甲状腺機能低下症」と診断され、チラーヂンSS1錠/日の内服を処方され、また、不妊治療は継続してよいと初診時に言われました。
(甲状腺の腫瘍は、経過観察してよいもので、不妊治療に影響しないとのことでした)
そこで私は、チラーヂンを飲み始め、同時に不妊治療専門クリニックにストックしていた2つ目の凍結胚盤胞を子宮に迎える準備をはじめました。
しかしどういうわけか、チラーヂンを飲み始めると、脈が上がり、食欲が増進して、いくら食べてもお腹が空く、またたくさん食べているのに痩せていく、吐き気もしてきました。そして体調の変化からか、気分もかなり落ち込んでいました。
(今思うと、きっとチラーヂンが効きすぎたせいだと思いますが、当時はまったく何もわからず、そんなもんかと思いました)
そんな中で胚盤胞の移植に向けて不妊治療クリニックに通院し、数年ぶりのエコー診察を受けると、なんと一人目出産の際に受けた緊急帝王切開による傷跡(瘢痕=はんこん)が存在し、この瘢痕が溝となり子宮内の分泌液が溜まり、受精卵が子宮にたどり着いても、溝に溜まった分泌液により流され、しっかりと着床できない可能性があるというショッキングな事実が判明しました。
高齢(当時41才)でもともと妊娠しにくいうえ、この瘢痕があるから、かなり妊娠はしにくいとクリニックの先生に言われました。
少しでも良い子宮環境になるよう、移植の直前に子宮の瘢痕に溜まった分泌液を針で吸い取ってから移植することが決まりました。
移植は無事スケジュール通りできました。針で子宮の分泌液を吸い取る計画があったが、その周期は分泌液が溜まっておらず吸い取る必要もなく、スムーズな移植でした。
しかし移植当日も、心臓パクパク、なんと心拍数は100/分で、体調も良くなく、「とにかく頑張る!」の一心で頑張り切ったことを記憶しています。
結果は、着床せず。すごくショックでした。4年近く、クリニックに預け、「寂しい思いをさせてごめんね、ママはもう少しでお迎えに行くからね、大好きだよ」と毎日心の中で声をかけていたのに、、、本当にショックでした。長男の世話を一生懸命しながら、しばらくは自分を責め続け、思い出すと涙をしていました。
いま思い出しても、「ごめんね」と心の中でつぶやく自分がいます。
移植の結果が分かった後ですが、甲状腺の診察に行った際、衝撃なことがわかりました。
私の体が、甲状腺機能低下症から一転、亢進症の症状が出ていたというのです。
原因は不明(チラーヂンの服用ではないとのこと)、低下症の患者に時々見られる過程で、一旦チラーヂンの内服を止めて、1か月後に再度採血して値を見ることに。
1か月後に伊藤病院に行き、採血検査の結果、甲状腺の値が正常を保っていました。チラーヂンの内服を止める、しかし低下症の患者に時々見られるこの値の変化は、多くの場合、その後また低下症に戻るとのことで、引き続き数か月後の診察で見ましょう、とのことになりました。
ちなみに、そこから3年以上経ちますが、まだチラーヂンを飲んでいません。
このように、私の不妊治療は甲状腺の病気の発覚と治療の開始に伴い、終了を告げました。
少しずつ甲状腺の病気への知識を増やしてきた今、当時のことを思うと後悔の念を強く抱きます。もし自分で甲状腺のことをもっと勉強して、勇気を出してチラーヂンを止めたら、どんな結果だったのだろう?と思わずにいられません。
甲状腺ホルモンと妊娠の関わりが本当に深いのです。妊娠を考えていてなかなかできないなと思っている女性の方がいたら、念のため甲状腺機能をチェックされたらよいかもしれません。そしてもし甲状腺の疾患があるとわかったら、少しでも疑問に思ったら、理解・納得できるまで医者に質問したほうが良いでしょう。私の苦しい経験からの助言です。
甲状腺乳頭がん 細胞診後の診察
そして予約した日に伊藤病院に行きました。
いつものように病院は混雑していて、これまでと同じ男性の医師ですが、この方はとにかく声の小さい方で、かつ余分な言葉を一切発しない方で、淡々と、「甲状腺乳頭がんは、進行が遅く、あなたの場合小さいから、経過観察でいいですよ」で終わりそうでした。いやいや先生、待ってくださいと、いろいろ用意して紙に書いた質問事項を聞きました。たとえば日常生活の中で昆布をどこまで摂取してよいかとか、気を付けることとか、不妊治療を受けることとか、いろいろ聞きました。
私の質問に対しても、やはり淡々と小さい声ですが、全部はっきり答えてくださいました。
不妊治療は受けて良い、私の場合はチラーヂンを服用していないが、妊娠したら甲状腺ホルモンが不安定になる可能性があるため妊娠過程において定期的に甲状腺の病院で見る必要があります。
日常生活は、積極的に昆布わかめを摂取しなければ大丈夫。外食の際の昆布出汁は気にしなくてよい。
日常生活は普通にしていいよ、と言われました。
次は3か月後の診察。同じ医師の診察が望ましいため、その医師のいる曜日に病院に行けばよく、予約は必要ありません。
(続く)
細胞診を受けることに。そして診断結果は、「甲状腺乳頭がん」
確かエコーの画像を見せられた時だったと思いますが、細胞診を勧められました。
「念のため」と先生がおっしゃっていました。
※当時はあまり深く考えなかったのですが、(あとで読んだ院長先生の本によると)エコー画像でだいぶ見当がつくみたいで、細胞診というのは確証を得るためのものだったのでしょう。
予約した日に病院に行きました。
細胞診を受けた後、結果連絡のための自分宛の封筒を書いて提出しました。
この細胞診は、当時はさほど気にならなかったような記憶がありますが、
今、こうやって書いていると、その時の光景が浮かんできて、なんだか複雑な気持ちです(笑)。
細胞診は、麻酔なしで行われました。
ベッドに仰向けで寝て、注射針のような細い針でエコー画像を見ながら患部を吸引し組織を取る形。先生が行いやすいよう、確か首の下にタオルか何か敷いてありました。
私の場合、5mm前後と小さいことで1回目は取れず、2回針を刺しました。
穿刺の時は圧迫痛というか、鈍痛があったが、我慢できる程度でした。
穿刺後はしばらく鈍痛が続きましたが、いつの間にか気にならなくなりました。
注射と同じように刺したところは自然に塞がるとのことで、当日の夜の入浴も大丈夫です。(念のため伊藤病院のHPを確認しました、やはりそう書いていました)
複雑な気持ちで病院を後にしました(笑)
そしてうろ覚えですが、2週間後くらいでしょうか。
結果が自宅に郵送されてきました。
封筒を開けてみると、極めて淡々と、
1.5行で、診断の結果は甲状腺乳頭がんであることが書かれていました。
そして時間のある時に来院してください、ともありました。
動揺しました。
まずは、「がん」の文字に大きな怯えを感じました。
同時に、あまりにも淡々とした診断書、もちろんですが感情の欠片もない文面に、大きなショックを受けました。
診断書を見てすぐに病院に電話しました。趣旨を説明すると、医者の先生につないでくれました。
その先生は、甲状腺乳頭がんは非常にゆっくりと進むし、私のように1cm以下の場合、手術ではなく、経過観察している方も多いよ、のような話を、とても穏やかな口調で話してくれました。
電話を終えて、だいぶ落ち着きを取り戻しましたが、数日はやはりとても落ち込みました。
(続く)
伊藤病院初受診、診断は甲状腺機能低下症でした。
翌週月曜日、早速紹介された病院へ。
知る人が知るぞ、表参道に位置する 伊藤病院です。
伊藤病院は、JR原宿表参道口から徒歩約15分の距離。
(他にも東京メトロ表参道駅、明治神宮前駅からもアクセスできます)
まずは何といってもその立地の贅沢さ。
周辺に、シャネルやらサンローランやら、世界の一流ブランドショップが林立する、銀座中央通りを思わせてくれるような環境。
こんなところに病院が!と素直に驚きました。
そして病院内に入ったら、患者の多さにまたびっくり。
私はのんびり家を出て病院に向かったのですが、病院自体はなんと朝6時から受付(診察は9時から)だから、前泊してかかる方もきっといるのでしょう。
関東随一の甲状腺専門病院ですから、患者の多さは覚悟の上でさほど気にはしません。
しかし、この病院のシステムがかなり良い。待ち時間が長い時は携帯から自分の順番が
わかるから安心して外出できるし、会計システムも非常に迅速でほぼ待たせない。
初診の流れはうろ覚えですが、
女医さんの問診、触診
↓
採血、首のエコー
(採血から結果が出るまでは1時間かかるとのことで近くのモスカフェで時間をつぶす)
↓
病院に戻り、呼ばれて、男性医師の診察を受ける。
血液検査の結果に基づいて「甲状腺機能低下症」と診断され、チラーヂンSを処方され、一日1錠飲むようにとのこと。
不妊治療は続けて大丈夫、とのこと。
またエコー検査の結果、首に小さなしこりが見つかりました。1cm以下なので放置してもよいが、念のため細胞診を受けてください、と言われました。
↓
会計して帰宅。
(会計額は、初診で薬が出たためやや高く、それでも1万円以内だった記憶はあります)
不妊治療を続けて良いとのことでホッとしたのですが、しこりが見つかったことで猛烈に不安になりました。
帰り際に病院書店で院長先生が書いた書籍を購入し、早速帰りの電車で読み始めました。
(続く)
二人目不妊治療のスタートが、甲状腺専門病院通いのスタートでした。
今日は甲状腺の病気のお話をします。
私は、昨年5月に甲状腺乳頭がんの手術を受けました。
手術のずっと前、自分の病名がわかってから不安で不安で、ネットを探しまくりました。
ありがたく情報が出てきますが、心細い者にとっては少ないものでした。
そこで、病気の発覚から現在までの経過を、あくまで私のケースですが、お書きします。
昔の自分のように心細く、情報を探しまくっている方の目に留まることができればと願っています。
何回かに分けてお書きします。
二人目不妊治療のスタートが 甲状腺専門病院通いのスタートでした
忘れもしません・・・
2014年12月、そろそろ二人目のこともがほしいなと考え、第1子の時にお世話になった
不妊治療の専門病院へ行きました。
久しぶりですが、昔もそうであったように採血からスタート。
すると、待ったく予想されないことが医師に告げられました。
「TgAbの値が異常に高いね。甲状腺の専門病院を紹介するから、そこの先生と相談してから、また来てください」
え~~??
tgabは知りませんよ?
「甲状腺の値です。これが高いと、不妊治療をこのまま受けて良いかどうか私たちは判断つかないので、専門の先生と相談して、その結論を教えてください」
とのこと。
「はい、わかりました」
具体的な紹介先医師名まで書かれた紹介状をいただいて、すぐに紹介先の病院に電話して聞きました。
「○○医師なら毎週月水金がいますよ。その曜日に来てください」
金曜日だったから、最短である翌週月曜に行くことにしました。
月曜までは、ネットで検索しまくりました。
「TgAb、TgAb+甲状腺、TgAb+妊娠、TgAb+不妊」・・・
TgAbのことは、すぐに検索できたが、しかし素人の私には理解できません。
私の値がどのくらい高いのか?それは何を意味するのか?二人目はすぐには難しいの?一人目でも高齢出産の私にはもはや二人目は無理なの?
と、疲れるほど、毎日お同じような疑問がぐるぐる脳内を回っていました。
実際、TgAbについての専門的な定義はあるものの、値の読み方についての情報はあまり見つけられず、知識のない私は自分の状況について予測することが到底できず、月曜専門病院に通うまで、とても不安な数日を過ごしたのを覚えています。